キッチンの蛇口から水が漏れている。
水圧と漏れ出す水の量は比例していて、蛇口の横に付いているノブを回すときは力の入れ具合に気をつけなければならない。うっかり思いきりノブを回してしまうと、噴水みたいに水が噴き出てくる。こんな状態がもう数ヶ月は続いている。
家で何かしらの不具合が起きると真っ先に連絡するのは大家さん。家の不具合は大家が直さなければならない、なんて約束は法的にも個人的にも結んでないのだけど彼はいつも飛ぶようにやってきて問題を解決してくれる。
ついでだと言って2回に1回は新しいメンテナンス用品(洗剤やらブラシやらペンチやら)を大量に置いていく。そんなにいらないよ、と思いつつも彼の親切心を無下にすることもできないので毎回ありがたく受け取る。受け取るというか、彼が置き去りにしていく。
さっきペンチを数えたら8本あった。2リットルの油落とし用洗剤は3つ。窓拭き用の洗剤は4本。いつ何をどのくらいあげたか覚えてないんだろうな。かわいいおじさん(51歳)だ。とにかくやさしい、ギブ&ギブの精神を持ったすてきな人です。
そんな彼は今、シンク下の引き出しスペースに体をつっこんで水漏れの原因をチェックしてくれている。
目の前でしゃがんで作業をしている彼の背中の少し下あたりを見ると、Tシャツが上に引っ張られて少しだけ肌がのぞいている。その肌色には線がある。英語のTの縦棒が短くなったような、線がある。
なにこれ。線だな。なんだこの線は。ふしぎな場所にふしぎなかたちの線がある。
人の身体のなかでもなかなか見ることがない部位で、そのうえ見慣れないかたちの線だから最初はなんの考えも浮かんでこなかったが、じっと見ているうちに気づいた。
これはおしりだ。
さて、今日はおしりの話をします。我ながらひどい出だしだなと、あれこれ他の言い方を考えてはみたけれど、どれもしっくりこない。おしりの話としか言いようがない。
大家さんのTシャツとズボンの隙間から見えたのは、おしりだった。おしりの中でも、おしりのはじまり(で、合ってるのか?要するに割れ目のはじまり)の部分。
これは大家さんに限ったことではない。実はこちらでは、オランダ人の外見的特徴と言っても過言ではないほど多くの人のおしりがチラリズムしている。そしてその原因はたったひとつ。腰パンである。
オランダは多国籍な国なので正確に言うとオランダ人ではなくオランダに住んでいる人(ほとんどが男性)ということになるのだけど、オランダではとにかくよく腰パンの人を見かける。近所のスーパーに行く30分ほどの間でさえ1回は腰パンの人を見る。電車に乗って町に出ようものなら少なくとも10腰パン(腰パン目撃数10回)は固い。
みんな腰回りがゆるゆるなのか?と思ったがそういうわけでもないらしい。先日電車内で見かけた男性は、オランダではめずらしいオフィスカジュアル風(Yシャツとジャケットにチノパンを組み合わせていた)の格好をしていて、しっかりとベルトを締め、しっかりとパンツが見えていた。
腰パンを見かける頻度もそうだが、腰パンのレベル-どのくらい下げているか-にも驚かされる。
ここでは腰パンと書いているが、実際目にするともはや腰とは言えない位置までズボンを下げている人がほとんどだ。日本人にとっての腰パンと彼らにとっての腰パンを一緒にしてはいけない。彼らの通常腰パンレベル(下げ具合)はおしりが見える程度だ。これは尻パンとでも名付けよう。
歩いている人の下着の上部(ゴムが入っている部分)が見えるなんてかわいいもので、先日見かけた男性はカラフルなボクサーパンツがすべて露わになっているだけでなく、太ももの一部まで見えていた。ミニスカやショートパンツとニーソックスを組み合わせたときにできるとされている絶対領域が、パンツとズボンの間に生まれている。
場所とタイミングが悪ければ露出狂として逮捕されそうな姿ではあるが、彼は「これが当たり前なんですけど」みたいな堂々とした面持ちで歩いていたものだから、おしりを覆っている物体がパンツなのかどうかすら怪しく思われ、思わず3度見くらいしてしまった。
その斬新さと鉄の心臓を評し、これは腿パンと呼ぶことにする。
尻パンと腿パン、これらが正式名称としてふさわしいかは分からないし(そもそも正式名称なんてあるのか)、オーソドックスな腰パンからの進化なのか退化なのかもよく分からないが、オランダには独自の腰パン文化が浸透しているということは確かだ。
思うに、この腰パン文化の醸成は性にまつわる羞恥心と関係しているのではないか。オランダの人たちは日本人と比べて露出に対する羞恥心が薄い。
たとえば夏。こちらの人は夏になるととにかく外に出る。その一番の目的は太陽の光。
オランダの空は、分厚い雲に覆われていて、だいたいいつも白い。変化があるとすれば、雨が降っているかそうでないか、それくらいのもの。平均気温は10℃前後で、1週間のうち2、3日は風が強くてちょっと歩きづらい。
ただ、夏の間は晴れの日が続いて気温は20℃前後になる。1年の大半を寒さと雨と日光不足に耐えて過ごすこちらの人たちは、この機を逃すと人生の終わりだと言わんばかりに、とにかく外に出て太陽の光を浴びまくる。
特に日光不足は大きな問題らしい。だからこれは光が当たる面積を最大限にしようという工夫なのかもしれない。夏になると必ず、ほぼ下着みたいな姿で歩いている女性が大量発生する。
恥ずかしげにしている人は1人もいない。むしろ堂々たる佇まいで「私は私がしたい格好をする」という強い意思が全身からだだ漏れている。オランダには威風堂々とした女性が多い。
露出する方もそれを見る方も、全体的に鈍感なのかもしれない。だから尻パンも腿パンも下着だと勘違いしそうになるくらいの薄着もすべて「大したこと」ではないのだろう。
そもそもオランダは性に関してかなりオープンな国で、アムステルダムにある風俗通りは世界的に有名だ。その通りの両脇に連なる店はほとんどがガラス張りで、そこには素っ裸の女性が立ち並んで道行く人を誘惑している。(見たことはないがそうらしい)
オランダのスパ(日本でいうスーパー銭湯てきなもの)は男女共用で全裸で入るのが普通とされている。週に1日か2日は「水着を着てもいい日」が設けられている施設もある。全ての施設に水着着用可の日が設けられているわけではないことに驚くし、もしこれが日本なら(そもそも日本にはこんな施設はなさそう)全裸日と水着日の割合は逆だろうなと思う。
アムステルダムで開かれる、LGBTQ+の権利と平等を祝うゲイ・プライドという祭では、男性器の形の帽子を被った人たちが町中を練り歩く。その日はそこらじゅうに男性器バルーンがあふれ、町全体が男性器で埋め尽くされる。(祝い方として合っているのかは分からない)
そういえば、かつての同僚の一人は威風堂々系女子だった。
ある日、ふたりで横並びに立って作業をしていたときのこと。ボクの前にある棚に置かれていたグラスを取ろうと、彼女が横から手を伸ばしてきた。あと少しのところで手が届かなかったので、「取ろうか?」と聞こうとしたそのときである。顔の右半分に強い衝撃が走った。
驚いて彼女の方を見ると「あ、ごめーん、でも取れたわ」それだけ言ってさっさと作業に戻っていった。
彼女はこちらの方向にジャンプして、そのグラスを無理やりぶん取ったのである。
割れ物を取ろうとしているのにそんな危ないことをするな。その同僚に、まずはこう言いたい。ジャンプの勢いなんてそう簡単に調整できるものではない。それが横方向へのジャンプであれば尚更のこと。自分の運動神経を買い被るな。続いてこう言いたい。
グラスを取ろうとした彼女は、絶対そんな跳ばなくていいだろってくらい思い切りジャンプしたので、勢い余ってボクの顔面に自分の胸をぶち当てたのだ。ラリアットしようとしたら腕ではなく身体ごと相手にぶつかってしまったみたいな感じだ。
その衝撃はすさまじく、大きめの犬がぶつかってきたのかと思った。冷静に考えると絶対そんなわけはないのだが、そのときはあまりの衝撃で一瞬現実を見失いかけた。
とはいえ彼女の方は何も気にしていない様子。ごめん、とは言っていたがそれは誰かと肩がぶつかった時に言うくらいのテンションだった。相手のからだが揺らぐほど自分の胸をぶち当てたのに、ほとんど何も気にしていないのだと思う。
職場では、多少奥まってるかな?くらいの、仕切るものなどないような場所で堂々と着替える同僚もいる。(胸をぶち当ててきた同僚もこれに当てはまる)
その場所には備品が置かれている大きな棚がある。「せめて棚の奥くらい行けば?」といつも思うが、当の本人がどうでもよさそうにしているのでこちらもどうでもよくなってくる。最初こそ焦って小走りでその場を離れていたけど、最近はもう「あぁまたか」くらいにしか思えず、余裕を持ってゆったりとその場を離れる。
腰パンならぬ尻パンや腿パンをする人にしろ、胸をぶち当ててきた元同僚にしろ、オープンスペースで堂々と着替える同僚にしろ、羞恥心は一体どこへ行ったのか。そもそも彼らには羞恥心などあるのか?オランダにいる人たちと関わっていると羞恥心という感覚の存在を疑ってしまうときがある。
性にまつわる羞恥心とは違うが、こちらで生活する時間が増えるにつれて自分の持つ羞恥心にも変化があった。
オランダでは至るところで人が抱き合っている。出会ってハグ、盛り上がってハグ、感動してハグ、お別れにハグ。彼らにとってハグは大切なコミュニケーション方法の一つで、日常なのだ。
日本で生まれ育った日本人として、ボクはこれまでハグに対して一定レベルの羞恥心を抱いていた。どんなレベルかというと、いついかなる時であれ相手が誰であれ、どぎまぎしてしまうしとにかくこっ恥ずかしいというレベルだ。人前でするのはちょっとなあ、とかそんなレベルではない。そんなのはハグ中級者以上の羞恥心だ。
でも今や、ハグなんて別になんでもない、好きな人とならするだろ、くらいの感覚になっている。相手と自分の関係性にどんな名前がつけられていようと、それも別になんでもないことだと思える。
問題は場所と相手の文化なのです。
これからもたまに日本に帰る機会があるかもしれない。ハグに対する羞恥心を失った今、軽い気持ちで誰かに抱きついたりしないように自制心を身につけなければならない。
世間的には、ボクはそこそこ良い歳なのだと思う。「良い歳なんだから」という言葉は好きではないけれど、年齢に見合っていない、という理由で恥ずかしい思いをすることもある。それが不名誉な事であれば尚更だ。この歳になって今さら「ハグ魔」とか「抱擁野郎」とか、そういう不名誉なあだ名をつけられたくはない。
実は、今年日本に帰ったときすでに危ない場面があった。
その友人とは久しぶりの再会だった。遠くから友人の姿を見とめて近づいていくそのさなか、ボクは両手が広がり始めていることに気づき「あぶな、やめとけ、相手が困るだろ」と光の速さで自分を戒めた。無意識は気持ちと連動している。久しぶりに友人の顔を見れて嬉しかったのだろう。
無意識を抑えるために意識的に無表情を作り、体の動きは小さく手を振るくらいに留め、小さな声で「んっ」とだけ言ってなんとかハグを回避することに成功した。正直細かいところは覚えていないので、無言だったかもしれないし手も振っていないかもしれないけど。(全く再会を喜んでなさそう)
待ち合わせ場所には他にも人がいて、その辺りを通る人の数も多かった。もう少しで友人を人前で困らせてしまうところだった。あぶないあぶない。ぎりぎりのところで自制心が働いてくれてよかった。
かつての同僚は、ボクに物理的な衝撃を与えると同時に精神的な衝撃も与えた。彼女はボクにとってのカルチャーショックだった。今のところ自分が誰かにとってのカルチャーショックになっているとは思えない。でもいつかボクも、大きめの犬にぶつかられたときくらいの衝撃-カルチャーショック-を誰かに与えることがあるかもしれない。
ゆっくりと、でも確実に自分の中にある日本が塗り替えられていると気づいた、そんなオランダ生活3年目です。
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