先日、二年半ぶりに日本(東京)に帰りました。
カウンターカルチャーショックを受けるかもね、なんて同僚と盛り上がっていた帰国前のボクの予想とは裏腹に、拍子抜けするほど自然に、即座に、ぬるっと日本の一部に成りました。
空港の到着ゲートを出てすぐに目にした大量の日本人はなんの違和感も与えてこなかったし、自分の意思とは関係なく自動的に耳に入ってくる言語がすべて日本語なのもなんとも思わなかったし、東京という、資本主義と競争社会の権化みたいな町で日々生き抜いている戦士たちに負けないくらいの速さで歩けたし、コンビニは、まだ懐かしいものにも珍しいものにもなっていませんでした。
自分が思っていたよりも自分の心と身体は日本用にできあがっていたと気づく一方、おいおい、出直してきな?と言われてしまいそうな間抜けな出来事もありました。
量販店で、オランダに持って帰ると決めていたものを大量に抱えてレジに並んでいるときのこと。
自分の番が次になったので、そろそろ準備をしておこう、と財布を開くと愕然。赤や青のカラフルな紙に星だの凝ったデザインだのが印刷された紙しか入っていないことに気づきます。一応コインを確認してみるも、見えるのは彫りの深いおじさんの顔ばかり。円がどこにも見当たりません。
最後の希望であったカード類も漁るも、オランダのデビットカードや、ふかわりょうみたいな自分の顔が印刷された居住許可証など、財布の中身はオランダにいたときのままであり、泣く泣くすべての商品を棚に戻し、本当に出直すことになってしまいました。
ちなみに、ボクは日本からオランダに来るとき、日本円を一切持って行きませんでした。
オランダに到着したその日、妻が日本円を持って来ていることに気づき、「え、なんで日本円持って来てるの?こっちじゃ使えないよ?」と訊くと「日本に帰るときに必要でしょ?空港からどうやって帰るの?」と言われ、衝撃が走りました。
ボクは、日本まで帰ることはできても、空港から出る術はなく、どこにも行けないのだ。
死ぬまでオランダで過ごそう、などと考えていたわけではなかったのですが、日本に帰るとい選択肢を無意識に排除していたことに我ながら驚きました。
そんな薄情なボクは、ちゃんと日本からしっぺ返しを食らいます。この二年半で、ボクの頭の中から日本での「決済方法」が排除されていた結果、醜態を晒すことになりました。
本屋さんに立ち寄ったとき、いざお会計となり交通系ICカードで支払をしようとすると
「申し訳ございません。残高が足りていないようです。」
じゃあPayPayで、と携帯の画面に表示されたバーコードを読み取ってもらうと
「申し訳ございません。こちらも残高が足りないようです。」
えっと、合計額は2880円。さっきレジの画面に出てきたICカードの残高は2000円ちょっとだった。今の残高は1480円。合計で3000円以上はある。あるはずだ、これで払えるよね?よし。
すみません、もう一度やりますね、と言って携帯を差しだすと
「申し訳ございません。まだ残高が足りていないようです。」
まだ?まだってなんだ。お金の単位とか変わったのか、と不思議に思いつつ店員さんを見ると、幾度の残高不足に焦る様子もなく堂々としている男に、とても気まずそうにしている。
「ええと、あのぉ、どうされますぅ?」
なぜか動じる様子のないボクを見て自分の方が何か間違えているのかと思ったのか、(完全にボクのせいですが)いつの間にか後ろには3人くらいの人が待っているからなのか、絞り出すような、助けを求めるような声で訊いてくる店員さんに、少し前から思っていたことを尋ねてみました。
あの、すみません、交通系で払ったあとの残りをPayPayで払うことってできるんでしたっけ
「え、いや、あの、できません!!」
店員さんは、何を言っているのだこの男は、と言わんばかりにズイっと前に出てこちらに圧をかけつつも、目をぱちくりさせながらとても驚いたご様子。実際そう思っていたと思いますし、今となっては自分でも、何を言っていたのだボクは、と思います。
三回の残高不足を経てやっとのことで支払い方法を理解し、PayPayで支払いをお願いしますと伝えました。しかし、海外では使用できないために二年半ぶりに開くこととなったアプリは、ボタンが多すぎるし、文字も多いしで、一目見ても何をどうすればいいのかすぐには判断ができません。
すると、何やらまごついているボクを見かねた店員さんが
「まずは残高に必要なお金をチャージしましょう」
はい、チャージします。よろしくお願いします。
「現在の残高はおいくらでしょうか」
はい、1480円です。
「では、1500円ほどチャージしていただければ、お支払いで可能ですので」
はい、1500円ほどチャージします。
と、店員さんにつられてこう言ったものの、しかしまだチャージの方法は分かっていません。
ここまできたらもういいだろと、どこまできたのか、何の話をしているんだかはよく分かりませんが、何かの踏ん切りがついたので、恥という感覚を投げ捨て、思い切って、あのすみません、どうやってチャージするんでしたっけと訊きました。
このときはもう、自分の間抜けさに笑いが込み上げてきて、ヘラヘラしていました。
自分からPayPayでって言ってきたのにチャージの仕方も知らないし、そのくせヘラヘラしてるし、とんだ奇人ねこの人、と店員さんに思われていたかもしれませんが、そんなことはどうだってよかったのです。こんな醜態、ヘラヘラしていないとやり過ごせません。
その後
「チャージができましたらこちらのボタンをタップして、お支払い画面をお開きください」
「次に、合計金額のご入力をお願いいたします」
「お会計は2880円ですので、こちらに2880円とご入力をお願いいたします」
「お支払いが完了しましたら、完了画面をこちらに向けていただけますでしょうか」
と言った具合に、各工程で店員さんの丁寧なガイドを受けながら、無事に支払いを済ますことができました。まるで、初めて手にしたスマホの使い方を孫から教わるおじいさんです。まさかこんな赤っ恥をかくことになろうとは。
なんなら、初対面の店員さんから、他にも人がいる公の場で教わっているし、ボクはと言えばスマホを使いこなせない年齢には見えないし、顔が濃いと言えどもギリギリ日本人の範疇に入る見た目ゆえ外国人とも思われていないだろうしで、恥の度合いが大きいです。むしろこの際、おじいさんでありたかったと思います。
商品を受け取ったあとは、もちろん風のように走り去りました。またお越しくださいませ、という店員さんの声を背中で聞きつつ、丁寧で優しい人だったなあとちょっと感動しながら。
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カウンターカルチャーショックと言えば一つ思い出したことがあります。それは、日本の決済方法の多さと複雑さです。
日本では、さまざまな会社が提供する、クレジットカード・デビットカード・電子マネーを利用できます。
カードという現物が主流だった時代ですら、電子マネーを紐づけるかどうかの選択などによって決済方法がさらに細分化されていたのに、今やそれらはアプリでも管理できるようになっていたりして、とてつもない数の方法で決済をすることができます。
そして、既に過多と思われるこの状況にポイントという日本ならではのシステムが織り交ぜられていることで、複雑極まりない独自の決済システムが完成しています。
コンビニや飲食店に行くと、そのお店で利用できる決済方法の一覧が示された、小さくて白いボードがレジ近くに置いてあったりするのですが、各カード会社、各アプリ、各電子マネーのロゴがそれはもうギッチギチに詰めこまれていて、一つ一つが豆粒くらいの大きさなので確認するのにとても時間がかかります。
おかげで帰国してからしばらくの間、支払いの際には、ガンでも飛ばしてんのかと思えるほどあのボードを凝視する羽目になりました。しかも、こちらは真剣なので無言。毎度、店員さんとボクとの間に奇妙な無音の時間が流れます。
そして、やっとのことで決済方法を決めたと思ったら「○○カードはお持ちでしょうか?ポイントをお貯めしますか?それともご利用されますか?」と訊かれる。
使えるほどのポイントが貯まっているのか分からないし、そのカードのアプリを持っているのかも分からないし、ボクはとにかくお金を払いたいだけなんです!と思いつつ、確認するのも面倒くさくてとりあえず「持っていません」と答えることになります。
さらに、交通系のカードに至っては地域ごとに独自の名前が付いていて、うろ覚えですが、「ほな行くで」とか「おい行くぞ」とか「さあ行くよ」みたいな名前のカードがあったはず。これらに何の違いがあるのかすらも分かりません。
オランダでは、最近になってやっとクレジットカードでの支払いが普及してきましたが、それ以前は、Mastercardが発行する、自分の銀行と紐づいたデビットカード(マエストロカード)での支払いが主流でした。ちなみに、ポイントを貯めたり使ったりという考え方は基本的にありません。
これほど多くの決済方法やポイントが存在しているという事実からは、資本主義世界の中で、自由競争の原則に基づいて自然に生きている人たちの存在、とその姿勢を感じます。
競争の自由が、認められるだけでなくもはや助長されてもいるように感じるここ日本では、誰かが得をすれば他の誰かはそれ以上の得をしようと努力します。PayPayが成功していると分かると、すかさずどこかの会社が似たようなシステムの「○○Pay」を世に放ちます。
少し前に、ブヨブヨした黒い玉の入ったどデカいカップを持っている人がそこらじゅうに溢れていたように、日本はいつか○○ペイまみれになるかもしれません。
「横を見て、負けじと先へ先へ」みたいな姿勢は、ちょっと疲れちゃうなって感じです。横を見て誰かがいたら、とりあえず手でも繋いでおく?とか言えるくらいの余裕があってもいいんじゃないでしょうか。
ちなみに今回の帰国では、世田谷区のお店で使える「せたがやPay」、通称「せたPay」なるものを把握することができました。
資本主義には全く惹かれないけれど、さすがに支払いに5分10分もかけたくないし、これ以上店員さんを困らせることもしたくないので、皆さんどうか、今度日本に帰ったら、色々と教えてください。よろしくお願いします。
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