人間、苦手なことのひとつやふたつ、ありますよね。
ボクは昔から予想外の好意が苦手です。
思わぬ角度とタイミングで好意を寄せられると、頭が空っぽになり、慌てふためき、相手のこれまでの人生から自分の痕跡の一切を消すために、全速力で逃亡します。
自分の気持ちを正直に伝え、それでいて相手を傷つけず関係性も壊さず、みたいな好感度高め系ジェントルマンになるには場数を踏む必要がありそうですが、そもそも好意を寄せられることなんてほとんどありません。
過去に一度だけ、同級生から好意を寄せられたことがあります。彼女とは小さい頃から知り合いで、互いの家も近い、いわゆる幼馴染と呼べるような関係で、ボクにとって彼女はあくまでも友達でした。
その当時まだスマホはなく皆ガラケーを使っていて、メッセージのやり取りには主にメールが使われていました。学校から帰ると、付き合ってほしい、的なことが書かれたメッセージが届いていることに気づきます。
翌日も学校で顔を合わせることが分かっていたので、その日のうちに返信をしないといけないと思い、宿題やら次の日の準備やらはほっぽりだし、どんな返事をすればいいのか、そのことだけをひたすらに考えました。
誰かと付き合うなんて、ましてや誰かに告白されるなんて考えたこともなかった当時のボクは、持っているはずのない恋愛的な経験や知識を持ち出そうともがきます。
でも、そもそも持っていないのだから、もがいたところで何の意味もありません。ウンウン唸っているうちに頭が痛くなり始めます。
すると、そっちにはたくさん考える時間があったはずなのになんでこっちにはたったの数時間しかないんだ、不公平だ、せめて金曜日に送ってくれよ、ああ、明日インフルエンザになりたい、インフルエンザの菌よこっちにおいで、もうなんでもいいから何かに感染したい、といった感じで思考の収拾がつかなくなってきました。
そうやって正常な考えができなくなった状態でさらにぐるぐると考えているうちに、こちらが何を言おうが、その全てが相手を傷つけてしまうような気がしてきて、ならいっそのこと、このメールは何かしら接続関係の手違いで届いていなかったということにして返事をするのをやめてしまおうと、それが一番傷つけるだろ、と万人から言われそうな対応をしてしまいました。
実にみっともない。
それからというもの、予想外の好意に敏感になり、それがやってきそうな兆候を感じると-相手はまったくそんな気がなくこちらが勝手に妄想しているだけのことがほとんどのくせに-すぐさま逃亡スイッチをオンにして、最速で相手から離れようとします。
そんな逃避癖のある自分に、先日、突然の好意が訪れることになりました。
それは、これまでのボクの人生には登場しなかった新しさを含んでいて、もう本当にどうしていいか分からず、文字通り頭がまっしろになってしまった出来事であり、最終的にはなんだかとても奇妙な状態へとつながっていきました。
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数ヶ月前のこと。
働いていたお店で店仕舞いの準備をしていると、同僚に呼び止められました。彼が「君宛てだよ」と言って渡してきたのは、折りたたまれた紙切れ。開いて中を見てみると、何やらいろいろ書かれています。
日本のキュートボーイへ
私はあなたのことを、とてもキュートだと思うの。今度空いた時間にデートに行きたいわ。突然こんなことを言われてあなたは驚いているかもしれないけど、私は一度でいいからあなたとデートがしてみたいの。
思わず、ちょっとくらい隠そうよ、と思ってしまったほど気持ちと好意をさらけ出した書き出し。ボクはこの時点ですでに後ずさり気味で、いつでも逃げれるよう準備を始めていましたが、手紙の内容は思わぬ方向へと進んでいきます。
でも、この手紙をもらってあなたが困ってしまうということは分かっているの。それは、突然知らない人からこんなメッセージをもらったからという理由だけではないのよね。分かってる。
突然のデートの誘い、ということ以外で何か困惑してしまうことってなんだ。”知らない人”という言葉を使っているけれど、さっき同僚から手紙を受け取ったとき、彼は「ここ最近お店によく来る人で、僕もその人分かるよ」と言っていたから、”全く知らない人”以上-常連に近い客さんといった人-ではあるはずだ。
依然として手紙の主も内容も謎めいたままなので、とにかく続きを読むことにしました。
正直に言って、このお誘い自体があなたにとって良いことかどうかは、私も分からないの。だから私、この手紙を書くことをとても悩んだの。あなたを困らせたくはないし。
お誘い自体?自体ってなに?デートのお誘いそのもの、ということで合ってるよね?誰かからデートに誘われるような人に見えないってこと?そんな魅力はお前にはないから、こんなお誘いも人生で始めてだろうし、慌てふためいているんだろ、ということ?まあ合ってるけど、デートに誘ってるのはそっちなんだから、そんな真理には触れないでください。書き出しに込めたロマンチックを最後まで貫き通してください。
デートのお誘いにしてはけっこうな量の文章だな、ということにこの辺りで気づきました。しかも、なにかを匂わせている。そしてその何かは、ボクにとっても手紙の主にとっても、簡単に処理できるものではなさそうな感じがする。
別に秘密ってわけではないのだけど、でも、やっぱり少しためらってもいるわ。このことをあなたがどう受け止めるのか、本当のところ、私には分からない。
もういいから、もういいから早く言って!最初の自信はどこに行ったの!あのときの自分を思い出そ!!頑張れ!!
驚くべき字の汚さによってただでさえ読むのに時間がかかっていたのと、突然の歯切れの悪さに若干イライラし始めたボクは、いつの間にか手紙の主を応援し始めていました。
でも、このことはきちんと伝えておかないと、いけないことだから。だから、言うね。
来た、ついに来た。好調な出だしから一転、フランス映画の登場人物みたいな回りくどさを発揮してましたけど、一時は完全にポエマーになってましたけど、言ってくれるんですね?やっと決意が固まったんですね?これ以上焦らされたらこの手紙捨てちゃうからね?言って!絶対。
ちなみにこの時にはもう、とにかくこの謎を解き明かしたい一心しかなく、自分がデートに誘われているということなんてどうでもよくなっています。
私には、あなたが男性からこういうお誘いを受けることに対してどう思うのか、全く分からないの。だから、もしもあなたが男性にまったく興味がないということであれば、この手紙は捨ててしまっていいし、そのときは、私に返事をすることもしなくていいわ。返事がないということが返事、と受け止めるから。でも、もし後で連絡をしてくれるのであれば、とても嬉しいわ。あなたを困らせてしまっていたとしたら、ごめんなさいね。
手紙の最後は、特大サイズで書かれたメールアドレスと手紙の主の名前で締め括られていました。
なるほど、男だったんですね、あなた。男の人に好意を持つ男の人だったんですね、なるほど。
何がなるほどなんだよ、という感じですが、ただテンパっているだけです。口から漏れ出ただけのなんの意味もないなるほどで、本当はなんにもなるほどではありません。
それどころか、人生で始めてゲイからデートに誘われたという事実をどう受け止めていいのか分かっていない、というか、これは今一体どういう状況なのかということすらもあまり分かっていません。
そもそも、生まれてこの方ナンパをしたことも、されたこともないボクにとって、面識がほとんどない人からデートに誘われるというのは、大事件です。まさに予想外の好意。しかも、ゲイから。
ちなみに、特大サイズのメールアドレスはかろうじて判読できたものの、それ以外は、本当に殴りながら書いたんか?と思えるほど、これぞ殴り書きって感じの汚さでボクには読むことができなかったその手紙は、同僚に読んでもらいました。
ちなみに、テンパったボクは、ねえどうしよう、まあ断るんだろうけど、返事ってどうしたらいいかな、と同僚に意見を求めました。
「手紙にも書いてあるし、返事しなくてもいいんじゃない?無視するのが気まずいなら、ゲイじゃないから無理って言えば?」
すばらしい、彼はいつだって冷静です。
がっしりした体つき、優しい目をした穏やかな顔、ゆるっとくるくるしてる天然パーマがさらにその穏やかさを強調しているような、そんなステキな同僚は至って冷静です。
ちなみに、その同僚はゲイです。
ということで(何が「ということで」なのかは分かりませんが)、ゲイの常連客がゲイの同僚にボク宛の手紙を渡し、ゲイからのお誘いを断るための方法をゲイの同僚から聞き出し、そうして、ゲイからのお誘いを丁重に無視することになりましたとさ。
手紙という距離感がとても良いね。
めでたしめでたし。
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まさか自分がゲイからデートに誘われるなんて、夢にも思っていませんでした。生きていると色んなことが起こりますね。
ボクは今回のことについて、オランダにいるからこそ起きた出来事ではないと思いました。だって、人が持つ「性」という属性には色んな種類が存在するし、そのことは、どこの国でもふつうなことだからです。
どんな人種や国籍、宗教だろうと、当の本人が自覚しているものが本物で真実です。自覚がない、というのもまた本物であり、真実です。
ただ、自由さについて考えたとき、たとえば日本と比べると、オランダでは「性」に対する考え方がより自由で、その考えを目に見える形で表現することに対しても自由だと感じます。
ゲイの同僚には、ボーイフレンドがいます。初めて一緒に仕事をしたとき「今日、僕のボーイフレンドがお店に寄るんだよね」とサラッと言われました。
会って間もない、ほとんど他人と言ってもよい人に、自分はゲイで、ボーイフレンドがいると伝える。そのことを、なんとも思ってないような態度。
その後ボーイフレンドがお店に現れると、同僚は彼に近づいて行って挨拶代わりのキスをして、二人はほんの一、二分だけ話をして、バイバイと言いながらまたキスをして、ボーイフレンドは去って行きました。
生まれ持った性別に囚われずに生きている人たちを見ていると、とても明るい気持ちになります。
こちらでは、女性、男性同士が手をつないで歩いていたり、カフェやレストランでぴったりくっついて仲良さそうにしている光景なんかも、よく目にします。
オランダのこういうところ、とても素敵だと思います。
そんな、オランダの好きなところを思い出させるキッカケとなった、ゲイからのデートのお誘いのお話でした。
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